丸誠 株式会社

実録!現場の談話集

No.1

社長 × 取引先営業 W.Nさん

社長の経歴について
営業
取引先営業 W.Nさん
本日はインタビューよろしくお願いいたします。
はじめに、社長の経歴を教えていただきたいです。​
社長
社長
経歴は、まず平成3年 建築科を卒業して沖縄から3万円をもって埼玉にきました。
営業
取引先営業 W.Nさん
3万円ですか?!
社長
社長
そうです。本当は2万円だったんだけれど、出発前におばあちゃんが1万円をくれて3万円!👍

まずは埼玉県の建設屋さんに就職をしました。

そこでは図面を書いたり数量をひろったりする仕事を想像していたのですが、実際は大工さんの型枠もちや片付けをメインにやっていて。
ここは結局一か月くらいで退職しました。
営業
取引先営業 W.Nさん
それは仕事内容が思っていた内容と違ったからですか?
社長
社長
いえ、そうではなくて。
現場によく重機屋さんが来ていたのですが、その重機がとてもかっこよくて。
重機に乗る仕事がしたいと思って重機屋さんに就職をしました。

そこの会社で初めて地盤改良工事を経験したんです。
営業
取引先営業 W.Nさん
なるほど。
もうすでにここで今の仕事に繫がっているんですね。
社長
社長
でもその時は地盤改良だけでなくBHを使用してもっと他の事ができないかを考えていて、そこも2年くらいで退職して東京の土木関係の会社に就職をします。

そこでは21歳から27歳の7年くらい働いていました。

その後、独立をして最初の会社「丸誠重機」が誕生。
おおまかにいうと創業まではこのような流れです。
営業
取引先営業 W.Nさん
創業当時はどのような仕事をしていたのですか?
社長
社長
2.3年は一人で現場に行って、オペの仕事をしていました。それこそディズニーシーの現場だったり。
でもバブル崩壊の名残もあって、計画されていた建設事業がなくなったりしていて、知り合いのところで草刈りや解体の仕事を手伝っていたこともありました。

そこから採用活動をして請負業をはじめるのですが、請負で稼ぐ楽しさをここで知ったんです。
営業
取引先営業 W.Nさん
創業からここまで、停滞期などはありましたか?
社長
社長
4人体制で請負業をしばらくやっていたあとですかね、創業から約10年くらい。
住宅の地盤改良をメインにやっていましたが、売上一億のカベを超えるという目標がなかなか達成できず、仕事はコンスタントにあったけど、成長はなく停滞していた期間がありました。
営業
取引先営業 W.Nさん
そこから成長期に入るタイミングはどこだったんでしょう?
社長
社長
以前の現場で付き合いがあった人から、突然太陽光案件の話があったことが最初のターニングポイントです。

新しいことを始めたいと思っていたタイミングだったから、当時やっていた住宅の地盤改良で付き合いがあったところからは自ら離れる形で太陽光の現場に行き始めて、
地盤改良は中規模のみにシフトしていきました。

この時、沖縄から2.30人くらいを派遣してきて現場に行っていたのですが、これが二つ目のターニングポイントです。
営業
取引先営業 W.Nさん
そこから成長期に入るわけですね。
今の体制に至るまでにはどのような流れだったのでしょうか?
社長
社長
そこからは太陽光と造成に集中しつつ地盤改良と二枚看板でやっていたのですが、
次のステップとして地盤改良メインでいこうかと考えていたタイミングで今取引いただいているタケウチ建設さんから仕事の連絡をいただきました。ここからTNFがはじまって、今に至ります。

そこで一番大きかったのが、太陽光のために沖縄から人を派遣していたことで。
周りが人手不足だったときに、人を出せる状況にあって仕事をいただくことができたのがよかったんです。
営業
取引先営業 W.Nさん
先ほどおっしゃっていたターニングポイントですね。
すべてのタイミングがとてもよかった、社長の運の強さですね。

経歴についての質問は以上になります。
ありがとうございました。
社長
社長
ありがとうございました。
またおいしいこぶ茶飲みに来てね。
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